移植手術をしながら無様だなとタールは思った。
初めてアスイと話したのは学生生活ももう終盤になりかけていた頃。成績優秀で統率力もある生徒会長で、それはもう皆から好かれ誰もが憧れるリーダー的存在。当時の私はそんな彼とは教室の対角線上に位置する机に座っているのが一番ふさわしい、どこにでもいるナンテコトナイからっぽの動く肉塊だった。私はどこのクラスにも必ず一人はいるような、無理矢理暇つぶしをされる「道具」だった。まあ、世間ではいじめられっ子とも言うらしい。
奴らのボスであるコニンは見た目通り悪いやつだ。明るい髪色に年齢よりも下に見られそうだが愛想のない顔、背は僕より、いや平均よりも小さい。あいつの笑い声は厭に耳につく。
言うなれば憎しみを具現化したような生き物で、どうにも好かない。でも彼も一人だ。他に行き場がない興奮を私に無理矢理押し付けているのだろう。
いじめといっても命を奪われそうになったり、赤色が飛ぶようなそんな物騒なものじゃない。バックに落書きがあったり机がズタボロにされていたり、持ってきたはずの弁当がばら撒かれていたり、その程度だった。私は怒りも悲しみもなくただただ時間が過ぎるのをナンテコトナイ顔で日々過ごしていた。
今日もいつもと同じようにコニン率いるグループが暇を潰しに来る。そいつらはまるでおもちゃをなくした赤子のように至る所を徘徊し、僕を見つけるなりまるでずっと発売を待ち続けていた新商品が目の前にあるような顔をして迫ってくる。頭が幼稚すぎる。赤子グループだ。今日の標的は新しく買い直した僕の腕時計らしい。
「あれ?昨日のと違うじゃんなにこれ〜。」
昨日のはお前が水の中にダイブさせたくせに。そう思いながら飛んでくる拳を避けもせず、あいつらと僕以外誰もいない教室の窓から鳥を眺めていたら無理矢理時計を剥ぎ取られていた。そして気づいた頃には教室の後ろに置いてあった大きなパンチで時計に穴を開けられていた。正確に言うとステンレススチールやガラス、シルバーの素材なんて穴が綺麗に開くわけがないから、バラバラの破片となっただけなのだが。
次はあいつらが開けやすいよう紙で時計を作るしかないな・・・。そう思った時だった。
「なにをしているんだ?」
偶然教室に戻ってきたアスイがスマートフォン片手に立っていた。証拠写真を撮られると思った赤子グループはすぐさま逃げていった。
「大丈夫かい?君は?」
こいつは生徒会長でありながら自分のクラスの人物の名前も覚えていないのか。
それがアスイの第一印象だった。
それから僕とアスイは一緒に帰った。
全ての尊敬の気持ちと憧れの気持ちを丸めて形にしたような存在が彼だった。しかしそれと同時になぜ同じ年でここまで格差が生まれるのかと少し黒い感情も持っていた。今日も置いていたバッグに無造作にばら撒かれた落書きを拭きながら、転がっていた絵の具を眺め呟く。
「ごめんな、こんな使い方をされるためにお前らは作られたんじゃないのに。」
するといつの間にか隣に立っていた彼が微笑みながら言う。
「あいつはこんな事しかできないんだよ、他者をを悲しい感情だけにして楽しんでる。君は気にすることない。エスカレートしてきたら僕の会長の権限でそいつ消してやるから!」
私にできることは勉強しかなかった。読んで、書く。それだけ。他に興味があることといえば最近どこか知らない遠くの国だか惑星だかで、「感情」を売り物にして金儲けしている輩がいるらしい。その「感情」からパワーストーンのように「気」が出て、その人と同じような人生が歩めるらしい。夢のような話だが、もし感情を買えるのなら私は彼のような生き方がしたい。そうぼんやり考えながら一人で歩いていたら不意に声を脳みそにぶつけられた。
「また汚ねえ服きてんのな!」
気がついたら着ていた服が水浸しになっていた。
日が経つごとにあいつの僕に対する遊びは徐々にエスカレートしていった。
僕はひたすら耐えるしかなかった。アスイにも申し訳ないと思う。僕のためにいろんなことをして守ろうとしてくれる。本人曰く頭の回転が速いから相手が今どんな感情かすぐにわかるらしい。僕はありがとうという気持ちと、複雑な名前のない感情でいっぱいになった。
それから幾つかの月日が流れ、気がつくと皆それぞれの道に歩いていた。
アスイは一流大手企業に。僕は誰も見向きのしないような仕事。コニンはなんか知らないけど怖いやつと連んで危ないことしてた。
私に嬉しい感情なんてないんだ。そう思いながら毎日同じ作業をして過ごしていた。そして時間が空いた時には読んで、書く。勉強という作業が唯一心が落ち着く。
そんな時一本の電話が鳴った。
不審に思いながら受話器を取る。聞こえて来た声はよく知っている声だった。私に罵声ばかり浴びせ、いじめて来た声、コニンだった。
『お前さ、学生時代ずっと暗かったけど自分の持ってる感情が全部で何個か知ってるか?』
「え?」
『俺と友達になれば分かる、今夜、学校に来い。』
返事をしようとした時にはもうツーツーという機械音しか聞こえなかった。
よくわからない電話が切れた受話器越しにオンボロテレビを見た。「大手企業、社長辞退、次期社長へのインタビュー!」と派手な文字で写っていた。
モニターの中に写っていた顔をぼんやりながめながらまた黒い感情が生まれる。
最近アスイと連絡とってないな。
こんな年になってまで不法侵入をするなど思ってもみなかった。
懐かしい教室、懐かしい景色、懐かしい、顔。
「本当に来たんだな、お前に研究してほしいものがあるんだ」
コニンの周りには他に黒に身を包んだ日本人ではない人達が三名立っていた。彼らはなにも言葉を発さないが、目だけで今私が考えている事全てを射抜かれそうな輩だった。
コニンの話では、感情は物理的に取り出せるらしい。生き物の全ての感情を生み出す扁桃体とは、脳の左右にある神経細胞の固まりでアーモンドのような形をしている。このアーモンドを取り出し、感情ごとにブロック分けして砕くことによって売れるらしい。
例えば悲しい感情なら2ドル、嬉しければ度合いにもよるが、高いもので12000ドルほどにもなるらしい。
私が長年追い求めていたものだ、と感じた。
『これを使ってもっと大儲けしたいんだよ、偉大なやつであればあるほど嬉しい、幸福な感情は高く売れる」
素晴らしい話だと思った、しかしそれをすることは不可能だ。
「でも喜びを奪うのは殺してるのと同じなんじゃないのか?」
「それを言うなればお前は喜びなんて感情あるのか?」
返す言葉が見つからなかった。
私は面白くもない仕事を続けながら時間が空いては部屋にこもり、扁桃体について読んで、書く。調べたことやわかったことをコニンに伝えるべく、私たちは定期的に会っていた。場所を指定するのはいつも彼だが僕のしたことを褒めて関心を持ってくれるのは嫌ではなかった。
たとえそれがいじめられていた相手だったとしても。
日が経つにつれ研究成果以外のことも話すようになっていた。昨日の仕事が辛かったとか、今日は夜に雨降るんだとか。はじめはそんなこと話している場合じゃないとコニンに殴られたりもしたが、徐々にお互い昔の蟠りが薄れていったのを感じた。その時私は、ここにアスイも呼べたらいいなと思った。そうだ、絶対にその方がいい。明日にでも連絡してみよう。そして私とコニンの仲が戻ったと知ればアスイもコニンに対する印象が変わるかもしれない。
それから数ヶ月が経ち、私は最後までたどり着いた。扁桃体を砕いたブロックごとの感情は移植できる。今まで取り出す事のみだったが、今は人から人へ移動さす事が可能なのが分かった。今夜は獲物がでかい。コニンに伝えなければ。その前にこの大発見をアスイにも知らせたい。私は、ずいぶんと履歴が下に行ってしまっていた古い携帯番号を呼び出した。
『はい、どちら様ですか』
「アスイ?久しぶり。」
『随分と懐かしい声だな。ニュース観てくれたかい?』
なんの事か一瞬わからなかった。そういえば世間ではこいつは大手企業の社長にまで上り詰めたのだった。自分の研究に没頭しすぎて関心がなかったが私は祝福した。
『学生の頃から感づいてはいたが、もうここまで来たのか、と自分でも自分が怖いくらいだよ。』
「私も君に話したい事があるんだ。大発見をしたんだ、これはすごい事なんだ。今夜今から会って欲しい。」
久々に話す親友は私の心を抉っていった。
『悪いけど僕はもう君と会っている時間なんてないんだ。その発大見は聞いていて価値のあるものなのかい?もっと価値のある事を僕はすでに知っているからね。明日は一流ホテルで会議なんだ、すまない。』
何か言葉を発さなければと思ったが、出なかった。
今夜のコニンとの集まりは、初めて彼から場所の連絡がなかった。切れた画面を眺めながらそのまま番号を呼び出した。しかしいくら待っても彼は出てこない。彼の事だ、一回で電話に出るなど考えられない。それか今夜の集合場所は私が決めてもいいという事なのか。
わからないまま、初めに集まった学校に集合という文だけ送って家を出た。
集合時間から2時間が経った頃、知らない番号から電話がかかってきた。その声は初めて聞く声でたどたどしい日本語だった。
『コニンさん、事故。さっきハコバレタ。フメイ。生きてる。近く病イン。』
病室で目を瞑り横たわるコニンの隣に立っていた男性が私を見るなり口を開いた。
『コニンと研究をしていた方ですね。この人は狙われていました。高額で売れる「品物」を知り過ぎていた。その情報を欲しがる輩の車が突っ込んできてこんな事に。意識不明の重体です。医者の話によると頭を強く打ったみたいで、へんとうたい?という部分がかけているらしいのです。彼はあなたと会うのを楽しみにしていました。昔から一人だったもので。』
そう言って男性は部屋から出て行ってしまった。
私も話したい事がたくさんある。扁桃体。嫌な予感がする。コニンの隣で私はまた無感情になった。気が付いたら眩しい光とともに朝が来ていた。そういえば今日、ホテルで会議とか言っていたな。考え始めた頃には体が動いていた。
そこから計画を実行するのに苦労はしなかった。ホテルに入ると知った顔がいた。少しだけ話がしたいと呼び出し、鈍痛を与え意識を飛ばさす。そのまま病院の手術室に運び、隣にはベットに横たわったままのコニンを並べる。
私はこのために勉強してきたのか。自分にそう言い聞かせながら事を進ませる。悪い予感は当たっていた。コニンの扁桃体は、嬉しい、楽しい等のプラスの感情が欠けていた。
偉大な人間の方が嬉しい感情は多い。アスイには申し訳なとは思わない。親友だと思っていたのは私だけだったのだから。私はただひたすらに作業をした。それからの記憶はあまりない。5時間、6時間ほど汗を拭きながらメスを握っていた気がする。
無事に終わってから約4時間が経とうとした頃、コニンがうっすら目を開けた。僕は恐る恐る彼に問いかける。
「大丈夫かい?」
『ありがとう、タール。』
彼は微笑みながらそう言った。
私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
はる